No.262(5062) 「あの日」から40年

この活動コラムでも、かつて記しましたが、40年前の1985年8月12日、私は小松から羽田へと向かう便に搭乗していました。羽田空港に着いたのが午後5時過ぎ。真っ直ぐにモノレール乗り場に行き、到着する車両を待ち受けました。車両の右側入口が空き、私は乗り込む。それと同時に左側入口が空き、モノレールに乗っていた人々がホームに降り立ち、ターミナルへと向かう。事故機となった日航機123便の出発時刻は午後6時でした。モノレールの中で互いに乗降する、あの瞬間、私は間違いなく、事故機に乗ったであろう方々と、すれ違っていました。
当時、東京で一人暮らしを始めた私のアパートにはテレビが無く、事故を知ったのは、ニュースを見て、心配になってかけてきた両親からの電話によってでした。当時は固定電話。受話器を持つ手の震えが止まらなかったのを、今でも覚えています。
8月12日が来るたびに、あのモノレールの情景を思い出します。「あの日」から40年。事故が風化されることなく語り継がれていくことを、切に希求するものです。
2025年08月12日 22:00