No.043(3348) 石原 慎太郎 氏 逝去に思う
「さぁ、挑戦だ!『小松の慎太郎』起つ!」
これは、2007年、私が初めて小松市議会議員選挙に立候補したときのキャッチフレーズです。
時あたかも、石原都政の絶頂期。無名の新人(私)が拝借するのは、誠に恐れ多いのですが、とにかく名前を覚えてもらわなければ…!と借用させていただきました。
このキャッチフレーズのインパクトは大きいものがありました。今だに様々な方から「小松の慎太郎!」と声を掛けられます。ある意味、私の代名詞となりました。
そもそも、私の「慎太郎」という名前の由来は、石原 慎太郎 氏から取ったのです。文学青年だった父が、敬愛する作家の名前を長男に付けたのが「慎太郎」。1つ下の妹は「晶子」。これは、与謝野 晶子 氏から取ったと、生前の父から何度も聞かされました。作家になりたかった父が、子どもたちに夢を託すために名づけたのだと。
長じて、息子は、石原 慎太郎 氏のもう一つの顔である「政治家」になりました。天国の父もさぞ苦笑いしていることでしょう。ちなみに…本日、2月1日は父の誕生日です。
出生時、選挙時において、そんな経緯もあり、私は石原 慎太郎 氏の一挙手一投足に、常にインスパイアされ続けてきました。
巨星、堕つ。残念です。
御冥福をお祈りいたします。
「小松の慎太郎」は、これからも頑張っていきます!
2022年02月01日 22:00