北國新聞朝刊に今週、リレー連載されている「競い合って芦城町衆」。本日、南北50m、日本最短の銀座と呼ばれる「ネコ橋銀座」が取り上げられました。記事には「藩政期以降『猫橋』周辺には日用品店や印鑑の店などが並んだ」とあります。当時「猫橋銀座商店街」と呼ばれた、この印鑑店、ハンコ屋の息子が私です。私は「猫橋の子」でした。
幼少期の私にとって、この小さな商店街「猫橋銀座」こそが世界の全てでした。小松館、小松グランド劇場という映画館を中心に、狭い路地に、レコード屋、駄菓子屋、喫茶店、洋食店、傘屋、靴屋、小料理屋、化粧品屋、ハンコ屋が雑多に立ち並ぶ、子供心にもワクワクする商店街でした。初めてレコードを買ったのも、初めてクリームソーダを飲んだのも、初めてハンバーグを食べたのも、全て「猫橋銀座」。化粧品屋の綺麗なお姉さんに憧れる、ませた子供でした。
私が中学生の頃に映画館は閉館。それと共に路地の店が次々と姿を消し、更地となった跡地にはホテルが建設され路地は完全になくなりました。「猫橋」は「ネコ橋」と名称を変えスナック街に。傘屋さんが店の歴史を名に刻む「かさ屋」という居酒屋になって、もう30年以上が過ぎようとしています。
新聞記事を読んで懐かしくなり、ネコ橋銀座ヘ。通りに佇んでいると、様々な事が思い出されます。ふと、幼少期の自分が走り回っているような幻想に襲われます。日本最短の銀座「猫橋銀座」にしばし思いを馳せました。
2023年02月25日 12:00