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活動コラム

No.007(4807) 小松市消防出初式

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新春恒例の消防出初式。昨年は震災の影響により中止となったので、2年ぶりの開催となります。小松市役所前で観閲行進、小松中央緑地で一斉放水が行われました。一斉放水では、コロナ禍や震災の影響で長らく中止されていた裸放水が5年ぶりに復活。水しぶきを浴びながら、まといを振る団員の勇姿に元気を貰いました。出初式がつつがなく開催出来るのは、日々が平穏なればこそ。市民の安心・安全を守る消防署員・団員の皆様方に感謝するものです。
2025年01月05日 22:00

No.006(4806) 曳山、天神堂、いよっ、小松!

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こまつ曳山交流館みよっさで行われている、天神堂飾り展にて着物姿の職員の方と「いよっ、小松!」ポーズ。バックには曳山と天神堂、館内は小松の粋で溢れています。元気を出して!頑張っていきましょう!
2025年01月04日 22:00

No.005(4805) 天神堂飾り展に行く

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こまつ曳山交流館みよっさにて、お正月恒例企画の「天神堂飾り展」を鑑賞しました。天神堂とは天満宮を形どった、ミニチュアのお堂の事。1965年、昭和40年頃まで、長男が誕生すると、成長や学問成就を願い、母方の実家より天神堂を贈る風習があったそうです。町衆文化の良き時代がしのばれますね。市内の名だたる名家が所蔵する天神堂が「蔵出し」。永らく眠っていた「お宝」がお披露目出来るのも、みよっさがあってこそです。天神堂のバックには曳山。小松の「粋」と「意気」が一体となっていますね。この展示会は10日(金)までとなっています。皆様、是非ともお立ち寄りください。
2025年01月04日 17:00

No.004(4804) 2025年、全力で駆け抜けます!

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2025年、新年の始まりは天候にも恵まれ、穏やかな始まりとなりました。能登半島地震から1年を迎え「追悼の元日」として黙祷を捧げました。これからも未来永劫、この日のこの祈りは続くでしょう。2025年は、本格的な復興元年となります。しっかりと一歩ずつ前進していきたいものです。

昨年の北陸新幹線小松駅開業。小松市民が共有した、あの熱気、あの高揚感は、まさに「百年に一度の好機」と呼ぶものに相応しいものがありました。この好機を如何に活かすか、その、まちづくりの在り方が問われます。2025年は開業のメリットを市民が実感、享受するための各種施策を断続的に立ち上げていくことが肝要です。

2007年の初当選以来、私の市議会議員歴も19年目に入ります。毎議会での質問を始め、各常任委員会委員長、各特別委員会委員長を歴任、2017〜2018年には副議長、そして、2021〜2023年には議長も経験させていただきました。その間、只、ひたすらに一生懸命、駆け抜けてきました。1つ1つの経験が、今の私の大きな糧となっています。

2025年、その大きな糧を最大限に活かしながら、尚一層、市議会議員としての職務に邁進していきたく思います。何よりも「市民の暮らしの安心・安全」が第一義です。八面六臂に躍動します。

2025年、今年も、日々、全力で駆け抜けます!
皆様、何卒、宜しくお願い致します。
2025年01月03日 22:00

No.003(4803) 頂上に輝く希望

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ダイヤモンド富士。
頂上に輝く御来光。

未来へと。
希望に満ち溢れた、2025年であるように。
2025年01月02日 08:00

No.002(4802) 1月1日午後4時10分 黙祷

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能登半島地震発生時刻である午後4時10分、1分間の黙祷を捧げました。

1年前の「あの日あの時」を思い出すと、胸が締めつけられます。

能登半島では昨年、地震と豪雨、2度の災害に見舞われました。

遺族の方々の心情を思いやると、胸が張り裂けそうです。

復興を。一日も早い復興を。

思いを込めて黙祷を捧げました。

 
2025年01月01日 17:00

No.001(4801) 2025年の幕開け、多太神社 元旦祭

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私の年末年始は、ここ20年近く、奉賛会役員として、多太神社に詰めています。年末の巫女さんの練習に始まり、大晦日、紅白歌合戦の視聴をそこそこに切り上げ神社へ向かいます。広場の焚き火に行く年を思いやり、拝殿へ。新年になるとともに行われる初詣神事の、お取り持ち役を務めます。昨年の宮司急逝により、神事の存続が危ぶまれましたが、神社庁の計らいにより、代理を立て挙行できる運びとなりました。誠に感謝するものです。年明け当初の出足は鈍かったものの、夜明けとともに、多くの参拝客で賑わい、活況を呈していました。写真は「浦安の舞」を奉納していただいた巫女さんたちと。無病息災・家内安全・交通安全・受験合格等を祈願しながら、一生懸命、頑張ってくれました。

穏やかに、2025年が始まりました。
良き一年になりますように。
2025年01月01日 15:00

No.445(4800) 今年一年、ありがとうございました

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本日は、2024年の大晦日です。午前中に事務所の神棚及び正月の飾り付け、大掃除。お昼には親戚が営む蕎麦屋にて年越しそばをいただき、午後からは、多太神社の大祓式に出席。代理の宮司にて、つつがなく執り行われました。

激動の2024年も、いよいよ残り数時間となりました。
新年の幕開けと同時に発生した能登半島地震。震源地である能登の被災状況に衝撃を受けました。小松でも震度5となり、多くの建物、道路が損傷を受けました。復旧と復興に全意識が傾注され、その活動が軌道に乗り始めた頃に発生した、秋の豪雨災害。改めて自然災害の恐ろしさを認識すると共に、この教訓を糧に、地域における防災・減災計画を如何に策定していくか、更に続く復興活動と合わせて、今後も鋭意、取り組んでいくべきだと強く感じました。

春には小松市民の長年の悲願であった、北陸新幹線小松駅が開業しました。小松駅ホームに乗り入れる新幹線に誰もが高揚し、新時代の到来を予感しました。それから9ヶ月が経過、開業効果の検証の必要性と共に、乗り換えの不便さ、敦賀以西ルートの不透明さと、噴出する諸問題にどう対峙していくのか。新幹線開業のメリットを市民が最大限、享受するための施策が、これからも求められます。

私自身は、7月より小松ライオンズクラブの会長に就任。どんどんまつりにて、能登復興支援袋の販売、小松から能登に元気を届ける大声コンテストの開催と、クラブだからこそ出来る復興支援活動に取り組みました。任期は来年6月まで。これからもしっかりと社会奉仕活動に励みたく思います。

議員としては、議会活動もさることながら、一人でも多くの市民の皆様の「声」を聞くという原点に立ち帰り、コロナ禍より復活した、様々な会合、会議、イベントに積極的に出席しました。来年も、この姿勢は堅持していきたく思います。

来る2025年も「市民の暮らしの安心・安全」を第一義に、一生懸命、取り組む所存です。
吉本慎太郎は、2025年も、八面六臂に躍動します!
皆様、どうぞ宜しくお願い致します。
今年一年、本当に、ありがとうございました。
 
2024年12月31日 18:00

No.444(4799) 1971年の紅白歌合戦

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年の瀬、本日は活動コラムならぬ「コラム」であることを御容赦ください。先般、録画した1971年、昭和46年の「第22回 紅白歌合戦」を今日やっと視聴することが出来ました。ノーカットでの再放送となります。その曲目は、今も歌い継がれる名曲揃い!尾崎紀世彦「また逢う日まで」、南沙織「17才」、五木ひろし「よこはま・たそがれ」、加藤登紀子「知床慕情」、堺正章「さらば恋人」…。札幌オリンピックを翌年に控えていることもあって、トワ・エ・モワの「虹と雪のバラード」も披露されました。曲目の間に応援に出てくるのは、ザ・ドリフターズとコント55号。そして白組トリは森進一、紅組大トリは美空ひばり!圧巻です。暫しの時間、タイムスリップしました。当時、私は4歳。この日だけは夜更かしが許され、一家団欒、こたつに入って、ブラウン管を視ていたんだと思います。幼いから、多分、最後は寝ていたのでは?在りし日の年末恒例の家族風景ですね。今は液晶で、一人一台で、各々が好きな番組を視て…そもそも、今はテレビではなくスマホやゲームかもしれませんね。「紅組が勝つか白組が勝つか」と家族みんなでワイワイ言ってた時代はもう戻って来ない…そう思うと、何か切ない気持ちになります。

明日は大晦日です。

 
2024年12月30日 22:00

No.443(4798) 新年に向けて・多太神社 元旦祭の準備

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宮司が急逝され、その葬儀にあたる葬上祭も、多太神社実行委員会にて執り行われました。

神社庁と神社役員の話し合いにより、宮司の代理を派遣していただくことで、大晦日の大祓式、元日の元旦祭を、通常どおり執り行う運びとなりました。元旦祭に奉納の舞を行う巫女さんの練習も始まりました。厳かな気持ちで、新年に向けての準備をしていきたく思います。
2024年12月28日 22:00